パスカルの『パンセ』、西田幾多郎記念哲学館で山上先生のセミナーを二日続けて聴講しました

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パスカルの『パンセ』第一部西田幾多郎哲学講座、2024年度3回めの講義が7月6日(土)午後にありました。今回の講座は今日と明日の2回セットの内容になっており、テーマはパスカルの「パンセ」です。講師は⼤阪⼤学教授の⼭上浩嗣(やまじょうひろつぐ)先生でした。
山上と書いて「やまじょう」と読むのは大阪南部独特だとご自身で説明されていましたが、関西弁らしさがなく東京の人かと感じられるくらい標準語で講義をされたので印象的です。

「パスカル『パンセ』入門 ⼭上浩嗣先生

前半は2024年7月6日(土)13:30~15:30

会場に着いたころは小雨が降っていました。梅雨らしいお天気です。昨日は35度を超えるような猛暑だったので、それに比べればしのぎやすくてよいです。

パスカル『パンセ』入門①-「自己愛」から「慈愛」へ-

〇日時:2024年7月6日(土)13:30~15:30
〇講師:⼭上 浩嗣 氏(⼤阪⼤学教授)
〇会場:石川県西田幾多郎記念哲学館 哲学ホール
〇参加費:500円 ※申込不要
参加費は当日受付にてお支払いください。
※西田幾多郎哲学講座の年間受講者は不要。
※年間受講は事前の申し込みが必要です。
年間受講料は2,000円(10回)です。

明日は七夕ですね。玄関には七夕飾りがされていました。

山上浩嗣先生の書籍が図書室の前に掲げられていました。貸出不可です。

パスカルのパンセの書籍も図書室の前に掲げられていました。これも貸出不可です。このパンセが今回のテーマです。

パスカルの生涯と功績

ブレーズ・パスカルは、1623年にフランスで生まれた天才的な数学者、物理学者、そして哲学者です。16歳という若さで「パスカルの定理」を発見し、20歳代で「パスカルの原理」を確立しました。1655年には「パスカルの三角形」を発見し、トリチェリの水銀を使った真空の実験を再現するなど、数多くの科学的功績を残しました。さらに、1658年頃にはサイクロノイド問題を解決し、微積分の基礎を築くなど、その貢献は計り知れません。

しかし、彼の人生は短く、1662年に39歳で亡くなりました。その短い生涯の中で、パスカルは哲学的な思索も深め、特に『パンセ』という形で後世に大きな影響を与えました。

『パンセ』とは

『パンセ』は、パスカルが生前に書き残したメモや断章を集めたもので、彼の死後約300年をかけて現在の形にまとめられました。この作品は、人間の存在や信仰、倫理についての深い洞察が含まれており、多くの人々に影響を与え続けています。

人間は考える葦

パスカルの『パンセ』の中で特に有名なフレーズの一つに、「人間は考える葦である」という言葉があります。このフレーズは、彼が晩年に深めた宗教的思索の中で生まれたもので、彼の存在論を象徴するものです。

「人間は考える葦である」という表現は、人間の物理的な脆弱さと精神的な偉大さを同時に表しています。葦のように脆弱で、簡単に折れてしまう存在である人間が、同時に思考する力を持ち、宇宙全体を理解し、反省する能力を持つという矛盾をパスカルは強調しました。このフレーズは、パスカルの哲学と宗教観を凝縮したものです。

1日めのセミナー内容概要

以下、この講座を受講した感想です。

「パスカル『パンセ』入門① —「自己愛」から「慈愛」へ—」というセミナーに参加しました。このセミナーでは、パスカルの『パンセ』を中心に、自己愛から慈愛への移行について学びました。以下はその内容と私の感想をまとめたものです。

1. 神への愛と邪欲

パスカルは、人間の愛を三つの秩序に分類しました。

身体(肉的)、精神、慈愛です。
また、三つの邪欲として感覚欲、知識欲、支配欲を挙げました。

身体の秩序には感覚欲と支配欲が、精神の秩序には知識欲が含まれますが、慈愛には邪欲が含まれていないことから、神への愛こそが至上の掟であると説きました。この説明は二元論的にシンプルで理解しやすいものでした。

2. 自己愛

パスカルは自己愛について、自分だけを考えることがその本質であり、その自分は欠陥と悲惨に満ちていると述べました。
人間はその欠陥を他人からも自分からも隠そうとしますが、これは憎むべき性質です。さらに、自己愛と公共善の関係についても触れ、人間は生来互いに憎しみ合うものであり、公共善のために行動することも見せかけに過ぎないと指摘しました。

3. 手足とからだ

自己愛がもたらす弊害についても議論されました。自己への偏向は戦争などあらゆる無秩序の原因であり、全体を愛することが重要であると説かれました。
個々の身体の部位は全体によって生かされているように、人間もイエスキリストの手足として全体(神)を愛するべきであるとされました。

4. 他者への愛

他者への愛には、無私の愛(隣人愛、アガペー)と自己の善のための愛(エロス)があると説明されました。
執着や借りものの性質を愛することの限界についても触れ、美しさや頭の良さといった外見的な要素に基づく愛は一時的なものであると警告されました。

私の感想とまとめ

セミナーを通じて、パスカルの『パンセ』が持つ深い思想に触れることができました。彼の主張する「神への愛」という掟は、邪欲や自己愛を否定し、他者への愛を放棄することを求めています。

しかし、他者への愛も、自己への愛も、神への愛を最終的な目的とする限りにおいて正当なものとなるという考え方は非常に興味深いものでした。

パスカルが説くように、人間は神を全体(からだ)とする手足であり、自己愛は慈愛の可能性を含んでいるのだという視点は、現代においても大切な教えだと感じました。個々人が利己的な欲望を捨て、自己と他者を含めた人類全体の幸福を目指すことが求められているのかもしれません。

このセミナーを通じて、パスカルの思想を少し理解することができ、日常生活や人間関係においても多くの学びを得ることができました。これからも彼の哲学を参考にしながら、自分自身の生き方を見つめ直していきたいと思います。

また、明日もセミナーの続きがあります。きっと「人間は考える葦である」というテーマについてさらに深く学べることを楽しみにしています。

セミナー受講のあと、帰る頃も重苦しい雲の下でした。幸い、雨は降っておらず傘をささなくてすみました。感謝。

後半は2024年7月7日(日)10:00~12:00

パスカル『パンセ』入門②-「考える葦」から「賭け」へ-

〇日時:2024年7月7日(日)10:00~12:00
〇講師:⼭上 浩嗣 氏(⼤阪⼤学教授)
〇会場:石川県西田幾多郎記念哲学館 哲学ホール

土曜日午後の講義の続きは、日曜日の午前でした。この日は朝から灼熱の太陽が照りつける暑い日になりました。

2日めは、続編: 「考える葦」と「賭け」

昨日に引き続き、本日もセミナーに参加してきました。今日は「考える葦」と「賭け」について学びました。

1. 考える葦

「人間は考える葦である」という有名な一節についての解説がありました。

原文(フランス語): 「L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature ; mais c’est un roseau pensant. Il ne faut pas que l’univers entier s’arme pour l’écraser : une vapeur, une goutte d’eau suffit pour le tuer. Mais, quand l’univers l’écraserait, l’homme serait encore plus noble que ce qui le tue, parce qu’il sait qu’il meurt et l’avantage que l’univers a sur lui ; l’univers n’en sait rien. Toute notre dignité consiste donc dans la pensée. C’est de là qu’il faut nous relever, et non de l’espace et du temps que nous ne saurions remplir. Travaillons donc à bien penser : voilà le principe de la morale.」

翻訳: 「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。しかし、それは考える葦である。宇宙全体が武装しても人間を押しつぶすことはできない。蒸気や一滴の水があればそれで十分だ。しかし、たとえ宇宙が人間を押しつぶしたとしても、人間はそれを殺すものよりも高貴である。なぜなら、人間は自分が死ぬことと、宇宙が自分に持つ優位性を知っているからだ。宇宙はそれを知らない。したがって、私たちのすべての尊厳は思考にある。空間や時間の中にではなく、思考の中に私たちの尊厳を見出すべきである。よく考えることが道徳の原理である。」

このフレーズは、人間の物理的な脆弱さと精神的な偉大さを同時に表しています。葦のように脆弱で、簡単に折れてしまう存在である人間が、同時に思考する力を持ち、宇宙全体を理解し、反省する能力を持つという矛盾をパスカルは強調しました。このフレーズは、パスカルの哲学と宗教観を凝縮したものです。

「考える葦」とは、人間が自分の死を認識し、その悲惨さを自覚する存在であることを意味します。パスカルは、人間が正しく秩序を持って思考することの重要性を強調しました。人間は自己の悲惨さを認識し、自己と神との関係、そして人生の目的について考えるべきだと述べています。

「気晴らし」についても触れられました。

パスカルは、気晴らしが人間の悲惨さを和らげる唯一の方法であるとしつつも、それが最も悲惨なことでもあると指摘しました。気晴らしは死を考えることを避け、自己を見つめ直す機会を奪うためです。パスカルは、死を考えることが現世の生き方を見つめ直す重要な手段であると説いています。

2. 賭け

パスカルの「賭け」の議論も取り上げられました。これは神の存在に関する信仰の合理性を説明するための思考実験です。

  • 賭けの条件:信仰することは神の存在に賭けることであり、人生をどう送るかという選択に等しい。
  • どうしても賭けなければならない理由:人間は人生を選ばなければならず、選択しないということ自体が選択である。
  • 賭けのリスク:神が存在する場合、信仰することで無限の幸福が得られる可能性がある。存在しない場合でも、信仰によって現世での道徳的な生活が得られる。

パスカルは、神に賭ける生き方が現世でも幸福をもたらし、来世への希望も与えると強調しました。また、信仰の探求を怠ることは不正であり、人間としての尊厳を損なう行為であると述べました。

パスカルと國分巧一郎先生の「気晴らし」についての共通点と相違点

今回のセミナーで学んだ内容は、以前に読んだ國分巧一郎先生の著書『暇と退屈の倫理学』における「気晴らし」に関する指摘とも共通する点が多くありました。

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ここでは、セミナーの内容とは少し離れますが、私なりにパスカルと國分先生の「気晴らし」についての共通点と相違点を整理してみます。

共通点

  1. 気晴らしの役割
    • パスカル:気晴らしは人間の悲惨さを和らげる唯一の方法であるとしつつも、それが最も悲惨なことでもあると指摘しました。気晴らしは死を考えることを避け、自己を見つめ直す機会を奪います。
    • 國分先生:國分先生も、気晴らしは一時的な慰めを提供するものの、根本的な問題の解決を先送りするものであると指摘しています。気晴らしが人間の深い思索や本質的な幸福を妨げる点に着目しています。
  2. 気晴らしの危険性
    • パスカル:気晴らしは人間の本質的な悲惨さを直視することを妨げ、自己の存在や死についての深い考察を避ける手段としています。これにより、人間は自己の本質的な問題に向き合う機会を失い、最終的には自己を滅ぼしてしまうと警告しています。
    • 國分先生:國分先生も、気晴らしが人間の真の幸福を見失わせる危険性について指摘しています。彼は、気晴らしが一時的な快楽を追求することで、長期的な視野に立った幸福追求を妨げるとしています。

相違点

  1. 気晴らしの対象と背景
    • パスカル:パスカルの時代背景には、宗教的な思索や神への信仰が深く関わっています。彼にとって、気晴らしは神との関係や死後の世界について考えることを妨げるものであり、宗教的な文脈での批判が強いです。
    • 國分先生:國分先生は、現代社会における暇と退屈を背景に、気晴らしを考察しています。彼の分析は、現代の消費社会やメディア、エンターテインメントが提供する気晴らしの影響に焦点を当てており、より広範な社会的・文化的文脈での批判を展開しています。
  2. 解決策やアプローチ
    • パスカル:パスカルは、気晴らしから逃れるためには神への信仰と自己の存在や死についての深い考察が必要であると説いています。彼の解決策は、宗教的な覚醒と神との関係の再構築に重きを置いています。
    • 國分先生:國分先生は、気晴らしに対する解決策として、哲学的な思索や自己の本質についての深い考察、そして意義ある活動への従事を提唱しています。彼は、現代社会の中で個人がどのようにして意味と充実感を見つけ出すかに焦点を当てています。

2日間のセミナーを終えて

昨日の「自己愛から慈愛へ」、本日の「考える葦と賭け」という二日にわたるセミナーを通じて、パスカルの「パンセ」についての深い洞察に触れることができました。

さらに、國分巧一郎先生の『暇と退屈の倫理学』と比較することで、「気晴らし」についての理解がより深まりました。

パスカルと國分先生の共通点は、気晴らしが人間の本質的な問題を直視することを妨げる点にあります。しかし、その背景や解決策には違いがあり、パスカルは宗教的な文脈で、國分先生は現代社会の文脈でそれぞれの気晴らしを批判しています。

このような比較を通じて、私たちは自分自身の生活や思考にどのように向き合うべきかを再考するきっかけを得ることができました。パスカルの哲学と現代の思想を取り入れながら、自己の存在や生き方について深く考え続けることの重要性を改めて感じました。

また、セミナー後の質疑応答では、敬虔なクリスチャンであるという方から「山上先生はなぜクリスチャンにならないのか?」という質問がありました。

山上先生は、学者として客観的にパスカルを研究対象としてアプローチしているため、自身が入信するつもりはないと冷静に回答されました。このような冷静な対応には敬服しました。

山上先生の深い知識と冷静な対応に感謝し、これからもパスカルの教えを参考にしながら、自分自身の生き方を見つめ直していきたいと思います。セミナーを主催してくださった西田幾多郎記念哲学館の皆様にも心から感謝いたします。

セミナーを終えて会場を跡にすると、空の雲が不思議な形になっていました。なにかの暗示でしょうかね。とにかく暑いです。この日は35度の猛暑日でした。