石川県のこと【いしかわ観光特使】哲学/マインド/モチベーション

『善の研究』第四編「宗教的要求」を読んだ寸心読書会、そして西田幾多郎の肉声に触れた午後

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2026年10月17日、石川県西田幾多郎記念哲学館の「寸心読書会」に参加してきました。よく晴れた、気持ちのよい一日。午後からの読書会に向かうと、青空の下に哲学館の建物がくっきりと見えました。

『善の研究』第四編「宗教的要求」を読んだ寸心読書会、そして西田幾多郎の肉声に触れた午後

今回のテーマは、『善の研究』第四編「宗教」の第一章「宗教的要求」です。

「宗教的要求」と聞くだけで、少し身構えてしまいます。実際、内容もかなり難解でした。事前に原文と解説をまとめた予習原稿を用意して読んでいたのですが、それでも理解が追いつきません。

ところが、読書会で山本先生の解説を聞きながら読み返すと、あの難しい文章が少しやさしく感じられました。もちろん、まだまだ「理解できました」と言えるところまでは届いていません。それでも、一人で読んでいたときより、文章のつながりが見えてくる感覚がありました。

そしてこの日は、読書会の後に見学した展示室で、思いがけない感動も待っていました。西田幾多郎の肉声を聞くことができたのです。

晴れた日の午後、季節の話から始まる読書会

『善の研究』第四編「宗教的要求」を読んだ寸心読書会、そして西田幾多郎の肉声に触れた午後

寸心読書会では、金沢大学の山本英輔先生が『善の研究』の本文を読みながら解説してくださいます。今回から第四編「宗教」に入りました。2026年度の読書会案内でも、この日の範囲は「宗教的要求」となっています。

山本先生は、いつも季節や天候の話から入ります。
今回は、この夏の猛暑や、その後の水害の話など。さらに、自家用車を運転していたときの、ちょっとしたトラブルのお話もありました。
難しい哲学書を開く前に、まずは私たちの生活につながる話がある。先生ご自身の身近な出来事も聞かせていただくことで、参加者との心の距離が縮まるように感じます。

これから読む文章には、「絶対無限」「主客合一」「意識の統一」といった言葉が並んでいます。その入口に、天気や日常の出来事をめぐる会話があるのは、ありがたいことです。少し肩の力が抜けて、本に向き合える気がします。

事前学習――「宗教的要求」の原文と解説

『善の研究』第四編「宗教的要求」を読んだ寸心読書会、そして西田幾多郎の肉声に触れた午後

以前のブログでは、第三編「善」の第十一章「善行為の動機(善の形式)」を、原文を小さく区切りながら読みました。

善の研究 第三編「善」の第十一章「善行為の動機(善の形式)」 の原文と解説
どもどもAIです。どもども。西田幾多郎記念哲学館の「寸心読書会」では、金沢大学の山本先生が『善の研究』をきりのよいところまで読み聞かせ、解説してくださいます。2026年5月30日の回は、第三編「善」の第十一章「善行為の動機(善の形式)」でし...

今回も、その形式を踏まえて、予習した内容を紹介します。
以下は、青空文庫『善の研究』第四編第一章から要所を引用し、理解の手がかりになる説明を添えたものです。引用ではルビを一部省いています。解説は事前学習をもとに整理したもので、山本先生の講義をそのまま記録したものではありません。

この章を読む前に――「善」から「宗教」へ

前回の記事で取り上げたのは、「人格の実現」や「至誠」という問題でした。
ここでいう人格は、普段使う「性格がよい」という意味だけではありません。考えること、感じること、意志することを、自己全体としてまとめる働きに関わっています。
その最も深い要求に忠実に生きることが、善の問題につながっていました。

今回の第四編では、そこからさらに問いが深まります。
自分の内側から生じる要求をたどっていくとき、その「自分」とは、どのような存在なのか。限界のある私たちは、何をよりどころとして生きるのか。
「どう行動するか」という問いを、その行動をする自己の根本まで掘り下げていく。そんなつながりを意識すると、「宗教」という言葉が少し身近になります。

『善の研究』第四編「宗教的要求」を読んだ寸心読書会、そして西田幾多郎の肉声に触れた午後

第一段階 宗教的要求は「自己の生命」についての要求である

宗教的要求は自己に対する要求である、自己の生命についての要求である。我々の自己がその相対的にして有限なることを覚知すると共に、絶対無限の力に合一してこれに由りて永遠の真生命を得んと欲するの要求である。

章の冒頭から、いきなり難しい文章です。

まず押さえたいのは、西田が宗教を「自分自身の生命に関わる問題」として捉えていることです。

私たちは、自分で考え、判断し、努力して生きています。しかし、自分の知識や能力には限界があります。周囲の人や社会との関係によっても、生き方は左右されます。生命にも終わりがあります。

「相対的にして有限」とは、そうした自分のあり方です。

その限界を深く自覚するとき、この自分だけをよりどころとして生き切れるのだろうか、という問いが生まれます。そこから、自分を超える根源的な力と結びつこうとする要求を、西田は「宗教的要求」と呼びます。

「永遠の真生命」も、単に寿命が長くなるという意味ではありません。何を根拠として生きるか、その生き方の根本に関わる言葉として読んでいきます。

第二段階 宗教は「自己の変換、生命の革新」を求める

真正の宗教は自己の変換、生命の革新を求めるのである。

短い一文ですが、この章の中心になる言葉です。

願い事がかなって、今の自分が満足する。それにとどまらず、生きる中心そのものが変わることを、西田は問題にしています。

たとえば、何事も自分の損得や評価を中心に考えていたとします。その中心を保ったまま、神仏に力を貸してもらおうとするなら、自分のあり方は変わっていません。

西田が求めるのは、その中心の置き方まで変わることです。

この前後では、パウロやキリストの言葉も引用されています。表現は厳しいのですが、「自分の判断や願望だけを、最後のよりどころにしてよいのか」という問いとして考えると、少し近づける気がします。

第三段階 利益を求めるだけでは「利己心の変形」が残る

現世利益の為に神に祈る如きはいうに及ばず、徒らに往生を目的として念仏するのも真の宗教心ではない。

「商売がうまくいきますように」「災難に遭いませんように」。
そう願う気持ちは、日常の中で自然に生じます。しかし西田は、さらに厳しく問いかけます。現世の利益だけでなく、死後によいところへ行くことを目的とする場合も、なお自己中心的なあり方が残るのではないか、と。

欲しい利益が現世から来世へ移っても、「自分によいことが起きてほしい」という構造は変わらないからです。

この部分では、『歎異鈔(たんいしょう)』やキリスト教にも触れています。西田は、異なる宗教の言葉を用いながら、自己中心的な願いを超えるという共通の問題を取り出しているように読めます。

ただし、これは西田が考える「真正の宗教」の議論です。私たちの素朴な祈りを、簡単に採点するための文章としては読みたくありません。

第四段階 安心は、宗教の「目的」ではなく「結果」である

我々は自己の安心の為に宗教を求めるのではない、安心は宗教より来る結果にすぎない。宗教的要求は我々の已まんと欲して已む能わざる大なる生命の要求である、厳粛なる意志の要求である。宗教は人間の目的其者であって、決して他の手段とすべき者ではないのである。

ここは、予習の段階でも立ち止まったところです。

宗教によって安心を得る、という説明は、わかりやすく聞こえます。ところが西田は、その安心さえ目的に据えることを問い直します。
生き方が根本から変わることで、結果として安心が生まれる。その順序を大切にしているのです。

「已まんと欲して已む能わざる」は、やめようとしてもやめられない、という意味です。

自分は何をよりどころに生きるのか。どうすれば、自分の生を引き受けられるのか。そうした問いは、考えないようにしても、どこかでまた立ち上がってきます。

西田は、その切実さを「大なる生命の要求」と表現しています。心を静かにするだけでなく、真剣に生きようとする意志が、ここでは前面に出ています。

第五段階 「自己」とは、欲求をまとめる中心である

而してこの中心より凡てを統一して行くこと即ち自己を維持発展することが我々の精神的生命である。

この「中心」は、直前に述べられる、欲求の体系の中心を指しています。

私たちには、暮らしを守りたい、仕事をよくしたい、家族を大切にしたい、学びたい、といった多くの欲求があります。
それらは、いつも同じ方向を向いているとは限りません。仕事を優先したい気持ちと、家族との時間を取りたい気持ちがぶつかることもあります。

そうした要求を関係づけ、自分の生き方としてまとめていく働きが、ここでいう「統一」です。

用語:統一
単に集中することや、一つの意見にそろえることとは意味が異なります。多様な感情や考え、意志が関係し合い、一つの生として成り立つことを考えると、理解の手がかりになります。この「統一」という言葉は西田節の骨格となるひとつで随所にでてきます。

第六段階 自分の欲求だけでは、世界と折り合えない

世界は個人の為に造られたる者ではなく、また個人的欲求が人生最大の欲求でもない。個人的生命は必ず外は世界と衝突し内は自ら矛盾に陥らねばならぬ。

ここは、日常の経験にも引きつけやすい文章です。

どれだけ準備しても、思いどおりにならないことがあります。よかれと思ってしたことが、相手にうまく伝わらない場合もあります。自分の中で、複数の願いがぶつかることもあります。

世界は、自分のためだけに用意されてはいません。

そこで、自分の願望を中心にした生き方のままでは、まとめ切れない問題が生まれます。その限界を通して、さらに大きな生命、さらに大きな統一を求めるようになる、というのが西田の議論です。

ここで出てくるのが「意識中心の推移」です。今まで大切にしていたものの順位が少し変わるだけでなく、何を中心にして生きるかが変わっていくこととして捉えてみます。

第七段階 「主客合一」は、自己と世界の関係を問い直す

絶対的統一はただ全然主観的統一を棄てて客観的統一に一致することに由りて得られるのである。

また難しいところに来ました。

自分の見方や考え方を基準にして、世界をまとめようとする。その枠組みが残る限り、どれほど立派な考えでも、なお相対的なものにとどまると西田は考えます。

自分の側から世界を捉えるあり方を、根本まで問い直していくわけです。

用語:主客合一(しゅかくごういつ)
主観は、見る・知る・働きかける側。客観は、その対象となる側です。「主客合一」は、その両者を分けた見方を超えることに関わります。

ただし、ここでいう「客観的統一」を、世間の意見や組織の命令に従うことと受け取ると、話がずれてしまいます。西田はこの後、客観的実在も意識の統一と切り離せないものとして説明しています。

このあたりは、一度読んだだけで理解できる気がしません。言葉の意味を、その前後の文章と行き来しながら考える必要があります。

第八段階 主客が分かれる以前の経験に立ち返る

この境涯においては未だ主客の分離なく、物我一体、ただ、一事実あるのみである。

ここで、『善の研究』の根本にある「純粋経験」とつながってきます。

私たちは普通、「私が、何かを見ている」と考えます。しかし、そのように「私」と「対象」を区別する以前の経験を、西田は考えています。

音楽に深く聴き入っているときなど、「自分が音楽を聴いている」と振り返る意識が薄れ、ただ音楽が響いているように感じることがあります。そうした経験は、一つの手がかりになりそうです。

もちろん、身近な没頭の経験だけで、西田の哲学全体を説明できるわけではありません。それでも、専門用語を言い換えるだけでは届かない部分に、自分の経験から近づく助けにはなります。

第九段階 分化や葛藤を経て、さらに大きな統一へ進む

意識の分化発展は統一の他面であってやはり意識成立の要件である。意識の分化発展するのはかえって一層大なる統一を求めるのである。統一は実に意識のアルファでありまたオメガであるといわねばならぬ。

ここで大切なのは、分化や発展にも意味があるという点です。

知識や経験が増えると、以前は気づかなかった違いや矛盾が見えてきます。それによって悩むこともあります。しかし西田は、そうした発展を、統一のもう一つの面として捉えています。

何も知らなかった状態に戻ればよい、という話にはなりません。

学び、考え、違いに出会い、葛藤する。その多様さを含みながら、さらに大きな統一へ向かうということです。

「アルファ」と「オメガ」は、ギリシャ文字の最初と最後。統一は出発点にもあり、目指す先にもある、と述べています。

手元の予習原稿には、「主客未分→分化・発展→大なる統一」、その途中に「苦悩」、下には「有限性の覚知」という言葉を書き込みました。

『善の研究』第四編「宗教的要求」を読んだ寸心読書会、そして西田幾多郎の肉声に触れた午後

図にすると少し整理できるのですが、それぞれの矢印をきちんと説明しようとすると、また難しくなります。それでも、自分なりの見取り図を持つことで、本文を読み返す足場ができます。

第十段階 宗教は「自己其者の解決」である

我々は種々の肉体的要求やまた精神的要求をもっている。しかしそは皆自己の一部の要求にすぎない、独り宗教は自己其者の解決である。

「自己其者の解決」。とても大きな言葉です。

知識を得たい、何かを達成したい、暮らしをよくしたい。そうした要求は、自分のある側面に関わっています。

それに対して宗教は、それらの要求を持っている自己全体を問題にする、と西田は考えます。

一つの悩みに答えを出すことから、悩みを抱えている自分のあり方そのものへ、問いが深まっていくのです。

章の結びには、次の文章があります。

宗教は己の生命を離れて存するのではない、その要求は生命其者の要求である。

宗教的要求は、生きることの外側に付け加わるものではなく、生きることそのものの深い要求である。西田は、そこまで徹底して考えます。

特定の信仰を持つかどうかという問いと、ここでの「宗教的要求」がどう関係するのか。そこも、引き続き考えていきたいところです。

章全体の流れを、もう一度たどる

今回の章を、予習のための道筋として整理すると、次のようになります。

自分の有限性に気づく
↓
個人的な欲求だけでは、世界や自分の矛盾をまとめ切れなくなる
↓
生きる中心の転換を求める
↓
自己と世界を分けた見方を問い直す
↓
さらに大きな統一を求める
↓
自己全体の生き方が問題になる

この道筋を頭に置いて読み直すと、「宗教的要求」という言葉も、少し違って見えてきます。

もっとも、この図でわかった気になるのは早そうです。原文に戻ると、また立ち止まる言葉が出てきます。その繰り返しも含めて、今回の事前学習でした。

参加して感じたこと――難しい文章が、少しやさしくなった

『善の研究』第四編「宗教的要求」を読んだ寸心読書会、そして西田幾多郎の肉声に触れた午後

予習してから聞く、山本先生の解説

予習原稿を作って読んでいても、理解が追いつかない。今回は、そんな状態で参加しました。

「宗教的要求」という題名には重さを感じますし、本文にも難しい言葉が続きます。解説を読めば言い換えは追えても、原文全体が何を述べているのかとなると、なかなかつかめません。

それでも、山本先生の解説を聞きながら、あらためて本文を読むと、少しやさしく感じられました。

一人で読んでいた文章を、先生の声と説明を通して、もう一度読む。その時間があることで、文字だけでは見えにくかったつながりが、少し見えてくるのだと思います。

もちろん、難解な西田節です。まだまだ理解したとは言えません。

ただ、予習したときにはつかめなかった文章に、もう一度向き合えた。それは、参加してよかったと感じるところでした。難しい本を、誰かの説明を聞きながら一緒に読む時間には、一人の読書を支えてくれる力があります。

展示室で出会った、西田幾多郎の肉声

読書会が終わった後は、有料の展示コーナーも見学しました。
ここに入るのは2度目です。同じ場所でも、前とは違う発見があるものですね。

今回いちばん心に残ったのは、西田幾多郎の肉声を聞けたことでした。
西田幾多郎と鈴木大拙のやりとりが聞けるコーナーがあり、番号のボタンを押すと、2分ほどずつ音声が流れます。アナログレコードに残された声を、展示室で聞くことができるのです。

資料で由来を確認すると、この録音は、西田幾多郎・鈴木大拙・山本良吉の3人による鼎談でした。「鼎談(ていだん)」は、3人で話すことです。

1941年2月28日、山本良吉の提案によってコロンビア社で録音されたものだそうです。その音声を哲学館で聞けることが、哲学館所蔵資料の紹介にも記されています。

レコード特有の、プチプチという雑音。その向こうから、西田幾多郎の声が生々しく聞こえてきました。

親友の鈴木大拙とのかけあいには、笑い声も交じります。

つい先ほどまで、難しい文章を一生懸命に読んでいた、その文章を書いた人の声です。親しい友人たちと話し、笑っている。その声を聞いていると、なんだか温かい気持ちになりました。

本を読んでいると、西田幾多郎は、どうしても難解な哲学者として目の前に現れます。けれど、この録音では、声の調子や笑い声から、一人の人としての存在が伝わってきました。

哲学の内容が急にわかったわけではありません。それでも、西田幾多郎という人との距離が、少し縮まったように感じます。

山本先生の日常のお話から始まった読書会。そして、その後に聞いた、西田幾多郎と親友たちの会話。

難しい本に向き合った一日の中で、人の声の温かさが印象に残りました。

この日いちばんの感動は、展示室で西田幾多郎の肉声に出会えたことです。プチプチという雑音と、その中から聞こえた笑い声が、今も心に残っています。

『善の研究』第四編「宗教的要求」を読んだ寸心読書会、そして西田幾多郎の肉声に触れた午後

西田幾多郎記念哲学館は少し高台にあります。建物の外に出ると夕方になろうとするかほく市の景色が見えました。

真の無は有の背景を成すものでなければならぬ

「真の無は有の背景を成すものでなければならぬ」というワードカード⑬、これは有料展示コーナーで持ち帰った一枚です。

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